乙女鉱山で働いていた方を取材しました。

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乙女鉱山で働いていた方を取材しました。

投稿日:2009年2月23日 投稿者: カテゴリー:鉱山部会 コメント:なし

昭昭和56年まで営業し-元鉱山長、奥山徳氏のお二人から、当時のお話を伺いました。
当日は山梨市観光課職員の方にご案内いただきました。< 乙女鉱山閉山まで働いていた尾花さん(右)に話を聞く山梨学院大学十菱先生(左)和期の乙女鉱山は主に「ケイ石」の鉱山として稼動していました。ケイ石の採掘過程で副産的に「水晶」も出ましたが、目的鉱物ではないため、産出した量など正確な資料は残っていません。
尾花さんの話では「気にして採れば月に5~600kgの水晶が採れた」そうですが、多くは曇りのある結晶だったそうです。  かなり大きなものでも見た目に不透明なものは、粉砕してケイ石の製品にしていたこともあったようです。ちょっともったいない気もします。

この頃採取された水晶で美しいものは、鉱山夫がお土産として持ち帰ることもありました。
時には甲府の商人が水晶の買い付けに来たり、東京や神奈川の大学が地質調査を行ったり、博物館職員が視察に来たりしたこともあったそうです。
伺ったお宅にも、乙女鉱山産の見事な結晶が飾られていました。< 乙女鉱山産水晶(左右約20cm:奥山氏蔵)

操業期間中には落盤等の事故はありませんでしたが、現在は坑道跡の一部が崩落・風化しています。奥には、当時打ち捨てられた採掘機器が今も埋まっているそうです。
有名なB坑の坑木はツガの木で、尾花さんがご自身で設置されたものです。当時の坑木の上には厚さ5~6mもの土があったそうです。

今では風化が進み、崩落の危険も高まっています。また当時の産業の様子を忍ぶ、貴重な機器や建物の痕跡も失われようとしています。

乙女鉱山は、愛好家の間で絶大な人気を誇るハート型の水晶「日本式双晶 Japanese Twin」の最も有名な産地で、「乙女」の名は世界中の愛好家に知られています。日本各地の博物館でも、日本を代表する水晶として「山梨県乙女鉱山産 日本式双晶」が展示されています。

消え行こうとしている乙女鉱山跡を、水晶の故郷として、また自然環境と結びついた山梨の産業遺産として将来に残すために、早急に保護していく必要があります。

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